鹿児島市で生まれ、中学時代帰宅部だったにもかかわらず、野球が好きで高校球児に。
しかし、現実はそんなに甘くはなく…。それでも野球につながる仕事がしたくてスポーツトレーナーを目指すことにしました。
(野球はその後、大学や社会人で草野球・ソフトボールを15年ぐらい続けて、今は観戦がメイン。熱狂的ロッテファン)
スポーツトレーナーを目指すといっても、どのように学んでいけば良いか悩んでいた時、鈴鹿医療科学大学のパンフレットに鍼灸の資格を取得してスポーツトレーナーへ進める記事を見つけ、同大学への進路を決めました。
晴れて希望する大学に入学出来たものの、思い描いていたこととは全く異なった風景が!!
病院で働ける鍼灸師を育成するコンセプトのもと、東洋医学だけでなく、歯科、眼科、麻酔科、耳鼻咽喉科、産婦人科、整形外科、泌尿器科などの西洋医学について学ぶ日々が続きました。
(現在は保健衛生学部鍼灸サイエンス学科に名称が変わり、鍼灸学専攻と鍼灸・スポーツトレーナー学専攻があります)
人体について多くのことを学ぶにつれ、『トレーナーよりは臨床に進み、多くの経験を積みたい』と思うようになりました。
さらに就職活動を迎える頃には、小児に対する施術がしたいという気持ちが出始めました。そんなある日、はり・きゅう・小児はりの施術を専門に行っている四日市市の丸山鍼灸科で見学をさせていただきました。
一日限りの見学はあっという間に終わるぐらい慌ただしく、普段は教科書でしか見たことのない症例に触れることができたので『ここだ』と思い就職先に決めました。幸いにも丸山鍼灸科への採用が決まり、鍼灸師人生が始まりました。
数ある鍼灸院の中では珍しく、患者さんは難病と言われる疾患(例えば、末期癌や膠原病などの自己免疫疾患、IgA腎症、遠位型筋ジストロフィー、本態性血小板血症、線維筋痛症など)も多く、経験の浅い駆け出し者の私は、問診しては教科書やネットで症例を調べる日々が続きました。
院長は、患者さんから症状を聞いて即座に、どういう病気で、どう施術していくか説明し施術しており、昼食時のみならず夜も遅くまで、また休日も常に病気のことや施術のこと、さらに最新の医学知識を勉強されていました。止むことのないその姿に、『自分もいつかは院長みたいになりたい』そう思っていました。
そんな私に、院長はいつも『早く追いつけよ。でも追いついた頃には先に行ってるからな』とおっしゃっていました。
言葉の通り追いかけても、追いかけても追いつけないその背中は、一治療家としての心構えや覚悟を物語っている感じでした。気付けば14年間の修業期間で、160種を超える疾患数と5万人以上の施術経験をしていました。
数多くの経験の中で、小児に対する施術を希望していた私に、院長は1年目から小児の担当を任せてくださいました。
主なものとしては、発達障害、食物アレルギー、小児喘息、小児便秘、中耳炎、チック、夜尿症、アトピー性皮膚炎、風邪、自閉症、突発性発疹、心臓中隔欠損の手術前後の体調管理などの疾患に携わってきました。
現在、2人の子供に恵まれ、子供中心の生活スタイルになりましたが、子供に対する悩みは自分自身の悩みの中でも多くを占めることに気付きました。お子様のいらっしゃるご家庭で、お子様の体調が良くなることにより、家族を始め周りの方の悩みが軽減すればと思っております。
学生時代に持っていたスポーツトレーナーの夢も完全には捨てきれておりません。以前所属していた三重県鍼灸師会の活動の一環である市民マラソンのボランティア活動にも参加してきました。
市民マラソンは、上位入賞や自己ベストを目指す人、初マラソンに挑戦する人など様々な方がいらっしゃいました。上位入賞を目指す人にはベストなコンディション作り。
初めてのマラソンランナーには、症状だけでなく走ることへの不安をどう取り除くか。限られた時間と施術道具で瞬時に見極めるのは、鍼灸院でのいつもの施術とは違う経験でとても勉強になりました。
また、市民マラソンのボランティア活動には鍼灸師会の先生方も多数参加されており、施術を見せていただいたり、お互いの施術について話す機会があり鍼灸の奥深さを感じることができました。
大学で4年、鍼灸師になって14年、三重県で多くの方とのご縁を頂く中で、さまざまなことを学び、経験しました。そして、18年ぶりの鹿児島の地で2022年5月に佑鍼灸院を開院しました。
これまでの学びと経験を活かし、個々人に寄り添った施術を行っていく鍼灸院を目指し尽力して参ります。